生かされている人
今日の朝礼
普段「自分は生きている」と思っている人が多いと思います。
しかし、自分の使命を感じて邁進している人は「生かされている」と言う人が多いです。
「私は命をもらった」と感じています。
何のために命をもらったのでしょうか?
それは、「与える」ためです。与えることが喜びになっています。
いただくことに喜びを感じることは普通です。賞状をもらったり、プレゼントをもらったり、愛情をもらったり。
でも、もらってももらっても満足することはできません。むしろ、もっと欲しいと執着心が湧いてきます。
与える喜びで生きる人は、人に賞状をあげたり、プレゼントをあげたり、愛情をあげることで満足します。
与えられるようになったとは、自己確立ができたともいえます。
自己確立をし、優れた人になって、感謝の思いを持つ人には、次なるステップ、次なる向上への道が、開けてきます。
無私利他
今日の朝礼
最近は西郷隆盛という人が注目されています。
この人は、無私利他の心で生きた人です。
いちばん多く捨てた人が、いちばん多く得ることもあります。
いちばん多く捨てた人とは、どういう人でしょうか。
それは、客観的には有限のものである、自分一人の命を、数十年の間、自分以外のもののために使いきった人のことです。
人としての生き方も仕事のあり方も同じです。
こちらの視点を変え、「相手側の立場」というか、「自分がしてさしあげる側の立場」から、ものを見る視点を得るところに、成功に転じていけるきっかけがあるのです。
これは、ちょっとした差です。気持ちを相手の側に切り替えて行動する、この微差が大きな違いを産むと思います。
幸福三説
今日の朝礼
昨日も入社希望者の面接がありました。
現在は、仕事を探す人より求人をする会社のほうが多い状況です。
それは、企業が雇ってあげるという状態ではなく、働きたい人から選ばれる会社にならなければならないということです。
働きたい会社、良いチームとは、お互いを認め合う風土があるではありませんか?
そのために「祝福」が必要です。
人の幸せを祝ってあげられる人の集団であれば、良い社風となるでしょう。
幸福三説(こうふくさんせつ)と言われるものがあります。(幸田露伴著『努力論』)
「惜福」「分福」「植福」の三つをいいます。
「惜福」とは、自らに与えられた福を、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。
「分福」とは、人に福を分けること。
「植福」とは、福の元を植えるということです。
福は自分だけのものにしてしまっては増えません。
願望の実現
今日の朝礼
あなたがホームセンターの店員だったとします。
お客様が「電動ドリルはありますか?」と尋ねてきたら、どの様に答えますか?
「こちらにあります。」
「どれくらいの穴をあけますか?」
「コードレスが便利ですよ。いかがですか?」
いろいろな回答があると思いますが、最もお客様に添う答え方は
「何にお使いですか?」
です。
例えば「子供の夏休みの工作の宿題に使うのです」と言う用途であれば、それは電動ドリルじゃなくてもいいかもしれません。
「こちらにキリもありますよ」と他の提案が出来ます。
もっと言えば、この人がやりたい願望は「子供にかっこいいところを見せたい」のかもしれません。
だったら、工作キットなど、他の方法を提案することも出来るのです。
お客様の願望を実現するのが私たちの仕事です。
挫折からの脱出
今日の朝礼
何か大きな失敗をしたり、あと一歩で成し得なかったときに挫折を感じることがあります。
挫折が大きくなる原因の一つとして、自分の目標が一つしかないということがあります。
「これさえあれば」、あるいは「これしかない」という考え方も大事ですが、場合によっては執着になることがあります。
そして、執着に近い目標が失敗したときに挫折が大きくなります。
そんなときに「自分はもっと他にも大きな可能性を持っている人間だ」という見方をしてはいかがでしょうか。
困難と取っ組み合って、それを解決すると同時に、別の面においては、いつも新たな道を開いておくことが大事です。
こだわる事も大切ですが、思いっきりやってダメだったときは別の道を歩めということです。